20数年前から聞くようになった ”コーチング” 。
部下マネジメントの一つの手法であり、部下の主体性を重んじている。上司が主体ではない。
なかなか実践されないコーチング
1990後半に ”コーチング” という手法が輸入され、人材育成業界ではちょっとしたブームになり、多くの企業で導入された。
マネジャーの皆さんであれば、過去に「コーチング研修」を受講したことがあるのではないだろうか。
本屋さんには多くのコーチング本が並んでいる。なぜか。
実践が難しいからである。
対照的に、”ティーチング” とタイトルのついた本(ビジネス向け)はほぼ見かけない。なぜか。
「簡単だから」というよりも、マネジャーは誰に習わずともティーチング的な接し方をやるからである。
修復的な接し方をしていません?
マネジャーであれば、部下の事を考え、困っていれば何とか支援してあげたいと思っているだろう。
部下が相談にやってくればのってあげるし、部下が困った様子と見れば声をかける。そして、部下の話を聞き、問題の原因を分析し、解決策を与える。
援助を申し出たり、代わりにやってあげるなんてこともあるだろう。ここまでくると、もはやティーチングでもない。問題解決代行サービス!?
ここで考えてみてほしい!
こういった場面でマネジャーは ”育成” という感覚をもって部下に接しているのだろうか。
困っている状態を解消してあげること、それは ”育成” というより、マイナスの状態をプラスマイナスゼロ(ニュートラル)な状態に戻してあげる/修復してあげるといった感覚 なのではないだろうか。
もし部下が相談にやってきたり、困っている様子であったりした場合、
おっ、これは育成の良い機会だ!
と思えば、どんな接し方をするだろうか。
- すぐにアドバイスを与えるだろうか
- すぐにその仕事を巻き取って、代わりにやってあげるだろうか
きっとそんな接し方はしない。部下自身で考えて決めるように促すのではないだろうか。
“育成” は極めて手間も時間もかかる、大変な生業である。しかし、これをやらないと組織としては持続的な成長が望めなくなる。
ビジネス環境の加速的な変化、高い成果の追及など、”育成” にとってはアゲインストの暴風がますます強くなってきているが、マネジャーは覚悟を決めて部下を育成していかねばならない。
まずは部下に対して ”修復” 的感覚でもって接している自分に気づくことから始めよう!
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